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Distance Yusuke Ide 井手裕介

編集者として活動する作家が、2020年にコロナで嗅覚を失ったことで人の知覚に興味を持ち、中判〜大判カメラでの時間をかけた撮影と、暗室でのプリント行為の記憶と記録を集積した写真集。

本書より

2020年の春先。日本国内でも屈指の早さでコロナウイルスに罹患した私は、初期ウイルスの強さゆえか、嗅覚を半年ほど失う経験を味わった。失う、というのはそれまで当たり前のように持ち得ていた感覚がゼロになる状態のことで、世界を理解するエレメントが一つけたような、寄る辺のない状態。一つけると他の器官が知覚を補填しようとするのか、聴こえる物音や視界に入る風景に、ずっと意識的になった…後略


― 本書寄稿文より

写真を見るという行為は、そのまま「視る」という行為の構造を露呈させる。私たちは世界をその全体として捉えることはできない。視覚とは常に部分への偏向であり、選択の連鎖である。見るとは、外界から行動に必要な断片を抽出することに他ならないのだ。
見るという選択の裏には、膨大な「見ないこと」が潜在し、知覚の背後に沈んでいる。視覚芸術、とりわけ写真というメディアは、この選択の構造を露骨に表現する。フレームに何が映り込むのか。ピントがどこに合わされるのか。どの瞬間にシャッターが切られるのか。それらを判断するのはカメラではない。そのカメラを操作する人間だ。だからこそ、写真を見るということは、写された出来事や光景だけでなく、撮影者がいかに選択し、判断したかについて知ることでもある。
カメラは光を制御する機械であって、身体ではない。ゆえにカメラは世界に対して自律的な行動の必要を持っておらず、「何を」「どう」撮るかについて、いかなる要請も持ちえない。その知覚の代行者となるのは私たち人間だが、撮影における三つの操作—フレーミング、ピント、シャッター—は単に技術的合理性が優先されるのではなく、むしろ、見ることの倫理、あるいは美的判断の現場である。この選択の三位一体は、直感的なものとして解釈される。だがその直感の背後には、知覚の訓練、経験、あるいは文化的コードが織り込まれていることは興味深い。写真は、見る者の世界観を切断し、提示し、編集する。写真とは単なる複写ではなく、「見ること」の構造そのものの提示と言えよう。
見ることは、常に選ぶことであり、写真は、その選択行為を物質化する。さまざまに選ぶ過程にこそ、写真の本質的な魅力と批評の契機が潜んでいるのだ。井手さんの写真にあらわれている無防備な素朴さは、写真というメディアが撮影者の意志を越えて、イメージをもたらすことを静かに物語る。それは、カメラが機械であるがゆえに、撮影者の意図から滑り落ちる領域を孕んでいること、その偶然性の中に、意図を超えたリアリティが刻まれる可能性を示唆する。にもかかわらず、その写真は完全に中立ではない。そこにはなお、撮影者の癖や選択の痕跡——フレーミングの癖、ピントの迷い、シャッターのタイミング——といった固有の感覚が滲み出ている。写真がどれほど無意識の領域に開かれていたとしても、完全に撮影者の個性を消すことはできない。むしろ、その「意図と無意図のせめぎあい」こそが、井手さんの写真に特有の緊張感を与え、見る者を惹きつける力となっているのだと思う。
― 鈴木理策「機械が行う知覚をめぐって」(本書収録テキストより)

hardcover
112 pages
250 x 200 mm
color
2025
design Xiaoshin Shi
printing director 篠澤篤史 (サンエムカラー)
寄稿 鈴木理策

published by self-publish

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